Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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昭和村B





系譜
幕末・明治初期に生きた母方の曽祖父は、大奥退官後の瀧山の養子になった後近江源氏佐々木三郎盛綱の直系であった妻の曾祖母で華族女学校(現学習院大学)和歌教授の佐々木濱子と婚姻関係に入ることにより佐々木家に入籍した佐々木綱親(貞庵:1838-1903)[蕃書調所=洋書調所=開成所仏蘭西学蘭学教授・京都兵学校=兵部省大阪兵学寮(後に陸軍兵学寮:陸軍兵学校の前身として東京に移転)数学教授・伊予宇和島伊達藩医]。福沢諭吉の同時代人であり、大村益次郎の親友である。大村益次郎とは伊達宇和島藩時代からの関係があり、また大村の数学塾鳩居堂でも1856-1862に教授していたと思われる。なお、佐々木綱親と佐々木濱子夫妻はユニテリアンであったと推測され、両人は現在青山霊園に永眠している。

大奥の最後の総元締めで4代の将軍に仕えた瀧山は、大奥に仕官するに際して、それを可能にするための条件として、母方佐々木家の養女となった(1862年と推定される)。その恩義に より、瀧山は現在の六本木深広寺に佐々木家代々の墓を建立した。墓は後に六本木墓苑に移されているが。瀧山は、大奥職員の再就職先の確保に尽力した上で、 この巨大なシステムを自らの意志によって「終わらせた」ことになる。

父方の祖父は、旧安田財閥二代目安田善次郎=安田善之助であり、私の父はその非嫡出子であった。一方、父方の祖母は、香取市佐原(旧佐原市)の日蓮宗浄国寺を開いた浄妙院日施上人(千葉氏族永澤氏の祖)永澤伊豆守俊元の系譜である。私自身はいつの日かこの浄国寺の墓に永眠することになる。

なお、軍人というよりむしろ高雅な文人であった乃木希典は佐々木四郎高綱(盛綱の弟)の子孫で姻戚関係にある。(おそらく歌人の佐々木信綱も。)私の母が生まれたのは、かつて大岡越前守忠相の私邸があった赤坂一ツ木町、現在の一ツ木通沿である。

また、母方の祖母は増山姓で栃木市の麻問屋の出である。

日本の近代数学教育の文字通りの始祖とも言える曽祖父佐々木綱親(貞庵)の数学教育に関する詳細な事跡に付いては、2006年5月末に拙著「<告 白>の行方」の出版社を通じて連絡の労を取って下さった前・大阪教育大学教授 松宮哲夫氏の記念碑的論文「大阪兵学寮における数学教育ー佐々木綱親の経歴 及び著書『洋算例題』の特徴ー」(「数学教育研究」第34号 2004 大阪教育大学数学教室)及び氏の私宛書簡二通(2017/1/09/・2017/1/11)・氏との電話による聞き取り(2017/1/14)等を参照した。

1987年以来の松宮哲夫氏の調査研究が無ければ、パイオニアとしての佐々木綱親の事跡は歴史の闇に埋もれていたに違いない。ここに謹んで感謝したい。

松宮氏には、直接連絡を取った上で、代々受け継がれてきた由緒書その他の貴重な資料の写しを送付し受領して頂いた。また、松宮氏からその後懇切丁寧な返信を受け取った。氏の今後の一層の研究に活用して頂けることを祈念している。

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